大菩薩嶺、大菩薩峠 2005/08/29

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夏も終わりの休日、手軽な山歩きがしたいと思っていたが、どうしても気になる山がある。

街の子で育ったので、近くに峠と呼ばれる場所はなかった。
峠と言えば、物心着いた時に強いインパクトのあった「大菩薩峠」を第一に思い出す。

大河内傳次郎、片岡知恵蔵、市川雷蔵、仲代達也の主演で映画化されているが、
私が、映画を実際に見たかどうかは記憶がない。

柴田錬三郎の「眠狂四郎」と、机竜之介を混同しているだけではなくて、
中里介山の作である「大菩薩峠」も「鞍馬天狗」も全て大佛次郎の作だと思いこんでいた。

そんな滅茶苦茶な記憶の中で残る「大菩薩峠」に行きたくなった。

しかしながら問題点がいくつか有る。

住居からのアプローチが長い事。

バスの便数が少なく、7時過ぎの始発の次は9時25分しかない事。

帰りも17時の次は19時しかない事。

登山口の標高が900m足らずで、2057mの大菩薩嶺に登るためには標高差が1160m程有る事。

色々あるが行くべしと言う結論になった。

朝5時過ぎに家を出て、新宿、高尾、大月で乗り換え塩山に着いたのは8時40分。



タクシーが待機していて、登山客は次々と乗り込んでいく。



しばらく待って、9時25分のバスに乗車。

このバスは乗り降り自由で運賃は100円。

大勢の年輩者が乗っていたが途中の大菩薩温泉で下車。

登山口で降りたのは、私達以外には、4名の男性のみ。

9時52分着。

此処の標高は880m程。



ここから青梅街道は、別れて柳沢峠に至る。

土砂崩れで、青梅方向は通行止めと出ていた。



ひたすら車道を行く。

若い男性は、マラニック族のようで、身軽な出で立ちでぐんぐんと登り、あっという間に見えなくなった。

霊峰寺の入り口を左に見ながら単調な道を行く。
日差しがキツい。



センニンソウや草ボタンが咲き乱れている。

客を送っていったタクシーが次々と引き返してくる。

一人が、タクシーに乗り込み行ってしまった。

今日の行程の事を考えると、便乗した方が良かったかなあと弱気が顔を出す。

家内に言うときっぱりとダメ!




ホツツジが咲いているが、おんぼろデジカメではうまく写らない(いつものカメラは未だ入院中)。

10時27分、渓流に架かる橋を渡ると、無人の千石茶屋がある。

ここから山道に入っていく。




赤や紫、黄色、白と色とりどりのツリフネソウが道端に咲き乱れている。







フシグロセンノウやヤマジノホトトギスが山道を華やかにしている。

此処のヤマジノホトトギスは、ずいぶんと小型で可愛い。



10時43分、第一展望台に着く。
塩山市内が見渡せる。



この白い花はリョウブかなあ?



段々と道がキツくなり、11時10分第二展望台に着くが見晴らしは良くない。

ベンチがある。




カニコウモリ、キバナアキギリ、モミジガサなどが目に付く。



突然家内のペースがダウンする。

昨日の炎天下の車道歩きで、朝から足が痛かったという。

やがて緩やかな道となり、車道の音が聞こえてくるが、なかなか峠に着かない。





11時49分やっと、上日川峠(ロッヂ長兵衛)につく。

此処は標高1585m。

約700m登ってきた事になる。

多くの観光バスとマイカーが停まっている。

ここはお風呂もあって、一泊二食付きで7000円で泊まれる。

冷たい水を購入して、前のテラスで「目張り寿司」をほおばる。

ゆっくりしていたいが、そうも行かない。
11時57分出発。



ロッジの右から直ぐに登山道が始まる。

マイカーはまだ上まで走って行っている。





12時22分福ちゃん荘の露天風呂の横に出る。



皇太子殿下と雅子様がお休みになったとか...

よく冷えたトマト100円を購入。

ぴちぴちに熟れたトマトを分け合って食べるが、甘くてとんでもなく美味しい。



唐松尾根には行かず、大菩薩峠方向へ行く。



富士見山荘通過。

此処からの冨士の眺めは最高らしいが、生憎今日は展望はない。

富士見新道の分岐点。通行止め。



ピンクのトモエシオガマとキオンかな?



沢を渡ると勝緑荘。12時34分。落ち着いた建物。



素晴らしい緑の中の緩やかな道を行く。

途中で見晴らしの良い場所にベンチがあるが、やはり何も見えない。

家内の足取りが益々遅くなる。

峠までで、引き返したいと言い出す。

こんな事は珍しい。

ゆっくりと進む。



13時9分やっと大菩薩峠に着く。



今年出来た休憩所とトイレ。



大菩薩峠1897m

大菩薩峠を読んでみたい方は、ここ



「大菩薩峠」の作家の中里介山の名を取って建てられた介山荘があり、
冨士が見えるはずの方向を目をこらすが、ガスが上がってくるばかり。

大菩薩峠の小説は、机竜之介が大嶽山の御前試合の前日、
この場所で試し切りに、孫娘を連れた老遍路を斬り殺す所から始まる。

机竜之介は御獄駅の直ぐ上の沢井村(岩茸石山から降りてきた所)で道場を開いていたとか。

旧青梅街道が、この峠を越えていた事を知ると、良く距離感が解る。



この方位板によると富士山から南アルプスの山々が一望の下に見渡せるようだ。

悔しいけど今日は、とても無理。



此処で帰りたいという家内をなだめすかして、もう少し上の景色の良い所で昼食をとる事を提案。

ノコギリソウがこんな高い所に咲いている。



冨士山方向に上日川ダム。



直ぐ近くに見える岩場は歩くと結構距離がある。



大菩薩峠にはガスが巻いてきた。

家内は最後の力を振り絞って岩場を上がってくる。



ハナイカリとウスユキソウが所狭しと生えている。









岩場の頂上に着くと、幼児が大勢でかくれんぼをしている。

足元を見ると全員が立派な登山靴を履いている。



出発の号令がかかると見事な一列縦隊。

「おべんと食べて元気もりもり、さあ歩きましょ」

大きな声で歌を歌って、山を下りていった。

此処は親不知の頭(1940m)

私達もおにぎりで昼食。

13時30分。

17時のバスまで後3時間30分。

さあこれからどうしよう。

家内の顔色をうかがいながら大思案...

続く
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