五色台  2005/02/27
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− 崇徳天皇を偲び白峰寺から根香寺を歩く。 −

天気がはっきりしない底冷えのする朝..
4日間の東京出張の疲れもあって、起きたのは10時。

時間も遅いが、崇徳天皇の御陵にお参りしたくなって、五色台に向かう。

先日、熊野古道を散策した時、崇徳天皇が、一度鳥羽上皇に連れられ、御幸した事を知った。

鳥羽上皇に疎まれ続けていた彼が、何故熊野参りに同行したのだろうか?
いや、何故鳥羽上皇は彼を連れて行ったのだろうか?

そのご、復権を計るべく保元の乱を起こし、後白河天皇に戦いを挑むが、虚しく破れ、讃岐のこの地に流された。

失意のうちに若くして無くなったという。

昔歴史で習っていたとは思うが、すっかり忘れていて、熊野古道を歩かなければ思い出すこともなかっただろう。


白峰寺から、根来寺への四国の道を歩くつもりだが、ガイドブックを見てもどうも道筋がはっきりしない。

第一、出発地の高屋神社なるものが地図には載っていない。

とりあえず、高屋に向かう。

国道11号を途中丸亀方向に左折せず、雄山の南側を白峰寺の看板に従い進む。

このままでは、白峰寺に行ってしまうのでは?と高屋神社を探す。

うろうろしていると観音寺と看板が出ている所に鳥居がある。

もしかしたらと思い境内にはいるとやはりあった。

観音寺と高神社が並んで建っていた。



左、観音寺。右、高家神社。

高家神社は、血の宮、朱の宮とも言われている。
崇徳院のお棺を運ぶ途中このお宮の石の上に安置したところ棺から血が流れ石を朱色に染めたとの事。
今、御棺台石が残っているらしい。

駐車場と書いてあったので、車を停めているとお寺から人が出てきて、停めては困るとのこと。

四国の道のパンフレットには、高家神社しか載っていない。しかし、現地では観音寺の看板しかない。
高屋口の看板なんか何処を探してもない。

よそから来た人は、解らないではないか?

と言うことで、引き返し、高屋口らしき所の鳥居のある所に車を停めて、車道を歩き出す。

うろうろしていたのですでに12時になってしまった。



車がかなりの速度で通るので少し怖い。

振り返ると、瀬戸大橋が見える。
水場にお地蔵さんがある。
昔のお遍路さんが喉を潤した場所だろう。



大きなお地蔵さんのある所を過ぎると、白峰寺の参道に出る。
昔は高屋口から此処まで、参道が続いていたのだろう。



ふと横を見ると立派な階段がしたから上がってきている。

覗き込むと青海神社から階段が続いている。

広い駐車場も見える。

立派な石灯籠も続いている。

砂防ダムを改築した時に、新設したのかも知れない。
平成16年一月と刻んであった。

白峰寺に登る時は、青海神社に駐車して、この階段を上ってきた方が、
車道歩きをしなくてもよいので、よいかも知れない。
3年ほど前までの、記録を見るとこの道は崩壊していて登れなかったようだ。

青海神社は、崇徳院と母の待賢門院が祭られている。
崇徳院が白峰の稚児ヶ嶽で荼毘に付された時、荼毘の煙が麓の村を覆い尽くし消えなかった。
村の人達は煙の宮、青梅神社を建てた。古い神社のようだ。



石灯籠とともに、沢山の石の歌碑が建っている。
殆どが崇徳院の歌である。

松山とあるのは、この白峰が松の多い山であったからだろうか?
と思ったが、崇徳上皇は、サヌキ松山の地に流されたとの記載があった。
松山は流された所の地名のようだ。

調べてみると昔、雄山と雌山の間は入り江になっていて松山の津と呼ばれていたらしい。

ここ

下の高屋地区に松山小学校があった。この校名も関係しているのだろうか?
住んででいたのは、雲井御所で3年。、鼓ケ岡木丸殿で6年。
この直ぐ近くだ。

寂しいと言っても、綾氏滞留中、高遠の娘綾局を寵愛し子供を作ったらしい。

とすれば、崇徳天皇の血筋のものが綾氏の家系にいたのだろうか?

崇徳院が崩御されてから、数年後西行法師が、崇徳院を偲ばれて、この地にやってきたらしい。

その時、猫山の方まで足をのばしたのだろうか?

調べてみると、この後弘法大師を偲んで讃岐の地を歩いたらしい。
その時猫山の法師越えを歩いたのだろう。



鳥居をくぐっていくと、正面に稚児ヶ嶽と稚児ヶ滝が現れる。




この滝は、五色台最大。
滝の左の切り立った岩肌は、稚児が嶽と呼ばれ、崇徳院が荼毘に付された所とされている。

サヌキ安山岩が剥き出しになっており自生のウバメガシが見られる。





すぐに、石灯籠と歌碑の続く階段になる。

ぞっとするほど長い階段が続く。



  

階段を上がりきると広場に出る。

崇徳院の歌碑が並んでいる。

よほど都に未練があったものと思われる。

100段ほどの階段の奥深くに、御陵がある。

宮内庁の管理下にあり、固く閉ざされている。

この御陵の荒れ果てている様を見て、西行法師が歌を詠んでいる。

雨月物語の、西行と崇徳院の亡霊の問答もこの地であったのか..

    

御陵と 源頼朝が寄進したと言われる供養塔



アオイの実と、牛頭観音



白峰寺の方に回り込むと、頓証寺殿、勅額門がある。
崇徳院が祀られている。

崇徳院の祟りをおそれて、死後、建てられたとか?
崇徳天皇850年祭平成26年のために修復工事をしている。

青海神社からの、石灯籠などは、この30万円、50万円、100万円コースなのだろうか?


続く
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