熊野古道その1  2005/02/11
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− もしかしたら天狗に会えるかな?中辺路ってどんな所だろう? −

滝尻王子から高原熊野神社へ




ふと、熊野古道へ行って見たいと思った。

天狗が住んでいるという熊野の山中を静かに歩いてみたいと思った。

家内に言うと、花の咲く春が良いとのこと。

でもどうしても行ってみたい。

春になれば、蟻の熊野詣でと言ってぞろぞろ参拝客が居る?はずだ。
静かに山歩きを楽しむのは今の時期しかない...

とか何とか無理矢理OKをもらった。

宿泊は本宮の近くの温泉旅館にしようと思ったが時すでに遅し。
インターネットで確認するも全て満室。

ついでだから行ったことのない串本大島の旅館を予約。

急遽インターネットで熊野古道の情報を集め、ガイドブックも購入。

しかし、熊野古道と言っても色々な道がある。

何とか王子とか訳の分からない名前が一杯でてくる。

出たとこ勝負で行くことにする。

徳島から南海フェリーに乗船6時15分。

8800円+1800円。結構高い。

このフェリーに乗るのは、30年ぶりくらいだ。
昔は小松島からでていたのだが、今は徳島のマリンピアからでている。

船の中でコースを検討。とりあえず中辺路の滝尻王子から出発することにする。

近露王子まで5時間とある。

竜宮バスが16時に来るのでそれまでに近露王子に着かなければいけない。

なにしろバスは一日4便しかない。

世界遺産登録と言っても、バスの便は意外と少ない。

5時に起きてフェリー乗り場へ。
6時15分出発。



7時前には紀州の山々の上から朝日が昇る。

これからあの朝日の昇る所へ行くのだと思うと何故かわくわくしてくる。

8時10分和歌山港着。
工場地帯のような余り綺麗ではない港だ。

和歌山城から県庁前を経由して阪和道に乗る。

この高速が何処まで通じているかも良く知らなかったが、トンネルをいくつも超えて、みなべインターで一般道にでる。
ここは梅干しの産地らしい。大きな梅干しのお店が並んでいる。

田辺駅前に海岸沿いの道を行き、良く解らないままカーナビの指示で滝尻王子を目指す。

直ぐに梅畑の中に三栖王子などの王子跡が続く。

安珍清姫の看板が目立ってくると、富田川沿いの立派な道路を北上し、やがて清姫の生誕の地「真砂」
をクリアして、10時前に滝尻王子に到着。

安珍清姫の物語が熊野詣でに絡む話とは全く知らなかった。
いつもながら自分の無知にあきれる。



滝尻王子(王子とは熊野への祈りを捧げた遥拝所(ようはいしょ)で、古道沿いに九十九王子がある)は、
「五体王子」の中のひとつで、九十九王子の中でも社格の高い王子で、藤原秀衡が建立したといわれている。
中辺路道の起点とされているこの場所には、立派な駐車場とトイレが新設されていた。

王子とは熊野権現の子供=童子のことらしい。
密教的神仏習合の修験者たちに呼び出された、熊野参詣者を守護する「童子」
この童子を祀ってあるのが、この熊野九十九王子らしい。

また、権現とは仏が神となって現れている姿を言うらしい。

いずれにしても熊野修験者にとっては山も樹も全て仏であり神であったのだろう。
そして厳しい修行の中で童子の姿をした神=仏に出会えたのかも知れない。

熊野は、女人禁制ではない。

それどころか、小栗判官'や和泉式部の伝説にあるようにどのような不浄のものでも受け入れて癒してくれる
非常に寛容な慈悲深い聖域のようだ。

冨田川に合流する石船川の向こうには熊野古道館があり熊野古道のビデオ上映や、資料を展示してある。

昔はこの石船川で禊ぎをしてから中辺路道に入ったそうだ。

古道館の中には、熊野懐紙が展示されている。
 
後鳥羽上皇は熊野御幸の際、主要な王子社で従者の歌人たちと歌会を催したが、
その時各人が和歌を書いたものが熊野懐紙と言って此処には11枚残っているそうだ。




語り部さんの居るという滝尻茶屋は観光客で満員。
語り部さんらしき人は見あたらなかった。







トレッキングシューズに履き替えて10時5分出発。
標高80b余り。
まずは滝尻王子にこの旅の安全を祈ってお参りする。

ここから熊野の神々が住む隠国(こもりく)とされ、いわば現世と黄泉の国との中継地点だったそうだ。
一寸身の引き締まる思いがする。



山道にはいるといきなり急登。

あれほど居た観光客は王子の周りを散策するだけなのか?誰もいない。



急登を少し踏ん張ると、体内くぐりと乳岩にさしかかる。
オオカミが赤ちゃんを育てたって?
熊野古道にもオオカミが居たんだ。



400bも登ると不寝王子 ねずおうじに着く。

まだまだ木の根の森のような急坂が続く。







最初のピークが剣の山。



突然別世界のような素敵な高原の道となる。

遠くで悲鳴のようなものが聞こえたので何事かと思うが、近づいてみるとここは歌声ポイント
此処で歌うと響いて良いらしい。

この後、大声ポイントなどもあった。



一旦下って、古道を少しそれる所に飯盛山がある。
急坂を一息登ると展望所と三等三角点がある。
標高340b
きついと思った割には大した標高ではない。

冨田川の向こうには山肌を切り開き開発が進んでいる。
古道から見る景色として違和感を感じる。



急坂をどんどん下っていくと車道にでる。



車道の向こうに尖ったピークが見える。
古道は山頂に向けて一直線に伸びている。

平成10年の台風7号で檜が壊滅状態になったので、ドングリから新しい森を作っているそうだ。



途中に有る針地蔵をお参りしてひたすら登る。
一直線のきつい登りを終えると、なんとそこにはNHKのアンテナだけがある。



アンテナを越えると少し下りになり、突然集落にでる。
なかへちの提灯がぶら下がっている民家が多い。

ここが高原集落らしい。



贅沢に立派な丸太を使った家が立てられている。

突然熊野神社の看板がある。



ここが有名な高原熊野神社

世界的博物学民俗学者の南方熊楠が、明治時代末期、神社合祀が行われる中、
この鎮守の森や神社を守り残したことでも知られている。
神社は応永10年(1403)卯月27日に、熊野本宮大社から御神体が勧請され、県重要文化財にも指定されている。

神社合祀は当時の政府の方針であったが、かなり地方に裁量権があり、
県により差があったらしいが、この地方の小役人は異常とも言えるほど神社合祀を推進したらしい。

そのため熊野古道の殆どの王子は神社合祀(一町村一神社)の犠牲になった。

これは、政府に対する点取り虫の権力者と、神社の敷地に植わっている楠や杉の古木を伐採して
私腹を肥やそうとする小役人の所為らしい。

神官が実在することと、その給料(60円ぐらい)を村が提供すること。
そして5000円(他県では500円程度)の現金を用意出来ることが、合祀を免れる条件だったらしい。

調査に来た役人をその度、接待責めにしてついに合祀を免れたとか。

おかげで樹齢1000年以上の楠と杉の古木が今でも残っている。

  
  
ウラジオガシと楠の古木

  

樹齢1000年の古木は、さすが貫禄がある。



この熊野神社の境内では、沢山の参拝者が昼食をとっていた。

ここの少し奥にはイーデス・ハンソンの家もある。

境内を出て少し行くと、霧の里休憩所。
此処でも多くのパーティが休んでいる。

見晴らしがとても良くて、ゆっくりしたいが、バスの時間が気になるのでトイレ休憩のみで出発する。

ここからはバス停が直ぐ近くにあるので、此処で引き返したり此処から出発する人達も多いようだ。



石畳の坂道を行くと、両側には旧旅籠の看板があちこちにある。
今は普通の民家のようだが、昔は宿場として栄えたのだろう。

遠くで12時のサイレンが鳴っている。

ここから近露王子まで約9q。

3時間程度の道のりらしい。

4時のバスには余裕かな?

続く
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