那智の滝  2005/02/12
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− いにしえの古道を楽しむ −

串本から30qほど走って、那智勝浦から左折。

熊野古道への登り口が何カ所か有るのを通りすぎて、大門坂駐車場へと急ぐ。

ここは、最近出来た駐車場で、休憩所などはただいま建設中。

歩いて3分ほどで大門坂入り口に到着。



大門坂の石碑は世界遺産登録を記念して昨年造られたもの。



此処にも南方熊楠が住んでいたらしい。
熊楠はよほど熊野の人々に尊敬されているらしい。



大門まで6町の丁石






大門茶屋(ここで衣装を貸してくれる。モデルコース1000円。散策コース2000円は安い)



正面に見えるのは樹齢800年の夫婦杉

800年間此処で大門坂を登る参拝者を出迎えてくれている。




多富気王子跡。
中辺路の九十九王子最後の王子社







感激して二人言葉を交わすことも出来なくほど、素晴らしい石畳の道が続く。



串本大島にも沢山あった赤い実のクマタケと思ったが葉っぱが違う何だろう?



拝み石との説明があった。



この大門坂は上皇達の熊野御幸の最終地であり、ここで名瀑那智の滝を眺めて心の安らぎを得たとの説明がある。

熊野御幸は、907年宇多上皇から亀山上皇まで374年続いたそうだ。

那智の滝がよく見える場所を過ぎると、直ぐに大門跡に着く。

この石段は267段。杉並木は132本有るそうだ。



大門跡を上がると、大駐車場。見晴らしの良い所に大きな土産店がある。



階段を上がっていくと、ビックリするほどの観光客。
大門坂では下りてくる人3人しか逢わなかったが、遠路はるばる那智の地にやって来て、本当にもったいない。



階段の途中右上に西国三十三番札所・一番札所青岸渡寺
若くして宮をはなれざるをえなかった、花山法皇が修行した所だろう。



赤い大鳥居をくぐってもまだ階段は続く。



もう一つ赤い鳥居をくぐるとそこに熊野那智大社があった。
境内の横には胎内くぐり300円の大楠がある。



青岸渡寺本堂



此処でも平安衣装を借りることが出来る。



三重の塔。此処から見る那智の滝は素晴らしい。



三重の塔からお滝道を下っていく。
鎌倉時代の石積が続く。



杉並木と石積の道が素晴らしい。



お滝道の古道を下っていくと突然、那智の滝の駐車場にでる。
此処も観光客で一杯。
那智の滝が間近に見える。



更に石の階段の道を下っていく。



見事な那智の滝(133m)の正面にでる。

今日は雨が少ないため滝の水量も少なく迫力に欠けているそうだ。

充分に那智の滝を鑑賞してから、車道を10分ぐらい引き返すと、大門坂上の売店にでる。

那智黒をお土産に買って、焼き草餅を展望台で食べてから大門坂を引き返す。





途中、大門茶屋で衣装を借りた平安美女?に出会う。
にこやかな笑顔が美しい。









道端には色々な花が咲いていた。
白いエンゴサクがもう咲いていた。

名残惜しいが、先を急ぐためすぐ車に乗り新宮を目指す。

新宮から左折して本宮へと..
ここには、熊野三山のうちの熊野速玉大社があるのだが、予備知識のない私達は素通りしてしまった。



熊野川を右に見ながらどんどん行く。
熊野川は、予想以上に大きく、また緩やかな流れだ。

本宮の町役場に車を止めると目の前が熊野本宮大社

八咫烏(やたがらす−三本足のカラス)の大きな幟がかかっている。

やはり神武天皇が、東征のおりこの地から上陸して、橿原の地へ向かう時、斥候や道案内をしたとのあの話から
祀られているのだろうか?

日本サッカーのシンボルマークとしても有名のようだ。



熊野大権現の大きな鳥居をくぐり階段を上っていく。
那智大社と違った厳かな雰囲気がする。

明治22年の大洪水までは熊野川の中州にあったらしい。

江戸時代までは、本宮へ行く橋もなく、川を足をぬらしながら歩いて渡ったそうだ。
まあ、お清めする手間が省けて良いかも..

その時は12社あったが4社だけが残っていて此処に移築されている。

1000年近く洪水にも遭わなかったのが、明治になって十津川流域の、乱伐のため大洪水となったそうだ。



階段を上りきると正面に神門。

神門をくぐると4つの社が並んでいる。








八咫烏(やたがらす)の幟があるのは新築なった礼殿。



大社の裏に回り100bほど行くと祓殿王子跡。

滝尻王子から75番という事は37.5q。

近露王子からは25qほど有る。



時計を見ると丁度2時。
フェリーの時間が17時なので、食事する間もない。

熊野川の流れを少し見てから田辺方向へと右折する。

急いでいるとまた、木材トラック。
広い所で抜いていくが、何台も列を連ねている。
きちんと林業が行われている証だ。

諦めて後を付いて、近露、滝尻と昨日バスで通った道をみなべIC目指してひたすら走る。

何カ所か渋滞にあい、和歌山港に出航10分前に滑り込む。

往路のチケットが有れば復路は10%引き。

安くなった1000円で特別室を利用して弁当をやっといただく。

高松に着いたのは、10時半であった。

今回、何の下調べもせずに熊野古道を駆け足で回ったが、
春になればもう一度近露からぐるっと歩いて本宮、那智と回ってみたい。

後記:私の中のイメージとしては、熊野本宮大社は、標高1000m位の山の奥にひっそりと建てらているものと思っていた。
しかしながら実際には、熊野川の中流域の広い河原の中州にあったらしい。
今は丘の上に移築されているけれど、それでも標高は100mも無い。

丁度徳島の吉野川で言うと、脇町くらいの所にあたる。

上皇達の熊野詣での時は本宮から速玉大社までは船で下ったようだ。

山深いそして険しい修行の道を越えていくと、開けたのどかな場所に本宮はあったのだ。
行ってみないと解らないとはこのことだろう。

今回御幸道である中辺路の一部を歩いてみた。

でも中辺路も、まだまだ歩き残している。
そして高野山から本宮への小辺路、そして吉野から1900mも標高のある、本格的な修験道である大峯奥駈道。
そして、那智から大雲取り、小雲取りの峠を越える厳しい道。

南紀の海岸沿いの大辺路とか、伊勢から南下する伊勢路とか色々ある。
とりあえず次の目標は、今回の中辺路の続きを歩き通してみたい。

四国遍路は、最近では自分を見つめ、新しい自分を得るための旅に変わりつつある。

また熊野詣でも時代を経て、元の純粋な自然への心の回帰。
そして自分というものを考えるための旅に、変わって行っているのだろう..

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