紫雲出山(しうんでやま)  2005/02/20
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− 浦島伝説の路を楽しむ −

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日本書紀、万葉集、風土記にも記載のある、日本でももっとも古いとされている浦島伝説。
日本SF小説の元祖と言うべき、時空を駈ける恋愛伝。

京都の丹後半島がもっとも有力(丹後国風土記に記載がある)だが、
この庄内半島にもゆかりの地名が沢山残っており、記紀以前にすでに今の地名だったかどうかは?だが
いにしえのロマンを感じさせてくれる場所であることは間違いない。


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天気が悪いと思ってゆっくりしていたら、薄日がさしだしたので急いで準備して出かける。
今日は、紫雲出山から、庄内半島の四国の路を散策することにする。

紫雲出山も2年前の1月に出かけてからご無沙汰している。
紫雲さんのレポートでは、かなり台風の被害もあったようなので少し心配だ。

家を9時半出発。

箱峠に10時45分着。そのまま紫雲出山に向かう。



箱峠の紫雲出山登山口は、広く整地の最中。完成すれば車10台くらいは駐車出来るようになるだろう。

この箱峠の西側は、生里(なまり)浦島太郎の生まれた所。
東側は箱。浦島太郎が玉手箱を開けた所とされている。

その時出た紫雲が、たなびく所の山と言うことで紫雲出山と言うそうだ。



箱峠から箱崎灯台を実ながら登山道に入る。
紫雲出山山頂まで2q。



明るい山道を一直線に上がっていく。
やはり台風の所為か大木が所々根こそぎに倒れている。



途中開けた所に休憩所がある。

庄内半島は、昭和40年代まで除虫菊の産地で、半島が真っ白くなるほどだったそうだ。



20分ほどで、新田の城跡につく。



城跡らしき所へよじ登ってみたが、ただ灌木が茂っているだけだった。

此処が一つのピークになっていて、ここから芝らの鞍部に向かって下っていく。

紫雲出山も此処から見ると紛れもなく、讃岐のおむすび山だ。



木の階段路を、ダラダラと登っていくとコンクリートの階段となる。

此処から頂上まではもうすぐ。



石畳の道を行くと、桜の古木が、半分ぐらい切られている。

多分台風で折れたので、根元から切ったのだろう。

此処の桜は本当に見事だったが、今年の花見は少し寂しいかも知れない。



50分ほどで頂上展望台着。



箱崎の灯台と箱の集落がよく見える。



左は古三崎。中央は生里から仁老浜、そして右は三崎。
この先に讃岐三崎灯台がある。



三角点は、地下に埋まっている。



左、粟島方面。
右は七宝山、稲積山方面。



島の方向だけ雲が低く、海に落ちている。雨でも降っているのだろうか?

オオイヌノフグリの一杯咲いている岩場で昼食。



ホトケノザも沢山咲き始めている。



遊歩道の両側には沈丁花が沢山植えられている。
もう少しして開花すれば良い香りが漂うだろう。



スミレや気の早いオニタビラコ(鬼田平子)がもう咲いていた。

食事を済ませて、三崎灯台まで四国の路を行くことにする。



箱峠まで、駈けるように下りて、駐車場の向こうから四国の道に入る。

此処から三崎灯台まで3.4q。

すぐに道が分かれるが看板はない。

嫌になるほど立っている四国の道の看板だが、肝心な所には立っていない。
左は車の通った跡があるので、右へ山道を行く。



草に埋もれたお地蔵さんの前をそのまま行くと、箱の集落が見えてきたので引き返す。
お地蔵さんの裏にも良く踏まれた道があるので、藪をかき分けどんどん行くが、
ついに倒木やイバラが道を防ぎ、先に行くのを断念する。



先ほどの分岐まで引き返し、車の轍のある広い道を行く。

ここには、ミニ八十八カ所があるらしく。お地蔵さんが沢山並んでいる。
此処のお地蔵さんはふくよかな千手観音?が多い。

しばらくすると、海が見えてくる。
仁老浜だろうか?



ここの四国の道は良く整備されていて気持ちよく歩ける。






仁老浜では、沢山の花が栽培されていてとても綺麗だ。



仁老浜(にろはま)海水浴場。

左を見ると紫雲出山がおむすび山に見えている。



暖かいせいか桜の花が満開。



どんどろとは雷のこと。
雷が落ちて、空に舞い戻ろうとした時の爪の跡が残っているとかでどんどろ石という。



立石展望台に着く。

大きな大きな花崗岩がそびえている。
見晴らしもとても良い。



三崎の小高い山の上には三崎神社の青い屋根が見えている。

ここから、急な坂を鞍部まで下ると三崎神社への鳥居に出る。
ここから100m程らしいが、階段はとても急。
時間もないので次回の楽しみにする。
夏の大祭には賑わうそうだ。



早羽天狗とは、よほど速く飛べるんだろうな。



やっと讃岐三崎灯台に着く。
この灯台は昭和34年に初めて建設されて、平成13年に改築されている。
新しい灯台だ。



灯台の下から海に向けて急な道が下りて行っている。

しばらく下りて行ってみるが、最後は切り立った崖のようになっている。

少し沖に見えているのは御幸(おごの)石。
この石の辺りが瀬戸内海で一番深いそうだ。

ここでマンモスの骨が発見されたそうだ。

40万年も前に此処は中国大陸まで陸続きだったようだ。



御幸石を見ていると、釣りの完全装備をした人が岩場をよじ登ってきた。
大きなクーラーと釣り竿ケースがとても大変そうだった。

そう言えば、灯台の下に背負子が置いてあった。
きっとこの人のだろう。
でも、車道は2q以上先だ。
担いで帰るんだろうな...



充分に景色を楽しんで帰ることにする。
もう3時を過ぎている。



仁老浜と室浜への分岐から、反対側の室浜に出ることにする。



此処も快適な道を行き最後に急なコンクリート道を行くと室浜(むろはま)の民家の横に出る。
漁港があり、沢山の民家があるが、多くの家は廃屋となっている。
山間部だけでなく海辺の町も過疎が進んでいるようだ。

古い神社とシンバクの古木。



室浜から立派な舗装路を箱まで歩く。
途中海に飛び出した見晴らしの良い所に、立派な丸太の休憩所がある。

最近誰かが造ったみたいだ。

此処で夕陽を実ながらビールを飲んだら最高だろうなと思ったら、ゴミ箱にビール缶が沢山捨ててあった。



地蔵さんの横に捨ててあった昔のこたつと、陶器の湯たんぽ。
ここらの家は母屋と離れを門と廊下で結び、ロの字形の中庭がある造りが多い。



やっと箱の集落に着く。

浦島太郎親子三人のの墓がある。



箱峠まで帰ると4時半になっていた。

浦島太郎伝説が、本当にこの地に実在したかのような錯覚を覚えてしまう、庄内半島の一日だった。
春になれば花々が咲き乱れもっと楽しい歩きが出来るだろう。

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