蔵王縦走2 2005/9/18

− ガスと強風の中の行進 あこがれの御釜を目指して − 

三宝荒神山を後にして、地蔵山に向かう。

11時4分

左に、地蔵山を巻く木道が設置されている。





行程約18q

歩行累計標高差 +− 1074m

このグラフを見ても、パラダイスからザンゲ坂経由三宝荒神山の傾斜が急な事が良く解る。



地蔵尊の周りは湿地帯になっていて、夏には素晴らしい花園になるらしい。

地蔵山には一直線に整備された石畳の道が続く。




猛すでに紅葉が始まっている。

タカネマツムシソウが咲き残っていた。嬉しい。



石畳の道を真っ直ぐ上り詰めると地蔵山頂上。1736m

11事31分着。



地蔵山の頂上は、平で広い。

低木が生えているが、風雪で根からまくれ上がっている。

殆ど裸になってしまっている。

綺麗な石畳の道が設置されている。

今から2年ほど前、ヘリで石を運び、大変な人出で整備したようだ。

此処から熊野岳までは、木道と石道がずっと続いている。



コケモモの実とガンコウランの実



捲れ上がった低木には色々な実がなっている。

この白黒の実は何だろうね?

どうも痛風に効くというミヤマネズの実のようだ。




ワサ小屋跡の分岐まで、ガスと強風の中を下っていく。

此処でまた一組の夫婦と出会う。

登山道には電信柱の様な木柱が並んでいる。

この尾根は非常に広くて、ガスや雪になると、どちらに進んで良いか全く解らなくなる。

雪が降ると半分以上埋まるらしいが、この木柱のおかげで道を失う事はない。

頭のかけたお地蔵さんが祀られている。



慰霊碑が多い。

この方は5月に遭難死されている。



大きな岩に道しるべが示されている。

熊野岳への近道の表示。

右へは蔵王温泉を示しているのだろう。



シラタマノキが、びっしりと生えている。

木の実をよく見ると、萼の変化したシラタマの中に、本当の実が隠されている事が解る。



此処で二人ともバッテリーが切れた。

何も見えないガスの中で、行動食とコーヒーをいただく。

じっとしていると寒くなり、二人ともジャンパーを着る。

しばらく行くと、熊野岳の分岐。

此処で一緒のツアーの夫婦と出会う。

フロントの言うとおり、朝バスで刈田峠まで行って、御釜見学してから来たらしい。

「御釜はどうでした?」

と聞くと、「一瞬、少し」との返事。

あ〜あ、ダメかなあ〜〜

分岐を引き返すように右へと行く。



分岐の直ぐ横には、石垣で囲まれた避難壕がある。

こんな風の強い不毛の地をコマクサは好むらしい。



起伏のない、だだっ広い尾根を行く。

ケルンと木柱がなければ、どちらへ進んで良いか全く解らない。

ここにも遭難碑があって「旧仙台二中遭難者33...昭和25年10月23日」と書かれている。

調べて見ると、同窓会誌に次のように載っている。

「大正7年(1918年)10月23日、教諭4人が引率し151人の生徒が蔵王登山中に、
大吹雪に閉じ込められ、道を見失った9人(生徒7人、教諭2人)が遭難死した痛ましい事件」

昭和25年建造のこの碑は、遭難者の三十三回忌に建てられたようだ。

なおも記事には、遠足中道を失った先生と生徒は石室に避難したが凍死したとある。

先ほどの石室の事だろうか?



頂上近くに「日本観光百選第一位」の石碑がある。

頂上の手前にやはり石垣で囲まれた熊野神社が建っている。



熊野だけ頂上1840m

12時32分着。

斎藤茂吉の歌碑がある。

しかし吹き飛ばされそうな風と、寒さで歌碑を読む気も起こらない。

家内は帽子を押さえながら進む。



先ほどの分岐に帰らずに、馬の背方面に降りていく。

火山礫の歩きにくい道だ。

ガスは益々濃くなるし、吹き飛ばされるほどの強風。

馬の背に来ても御釜などは、何処にも見えない。

家内はやる気を失せている。とぼとぼ歩いて着いてくる。



突然、周りが明るくなったと思ったら、強風に煽られて一瞬ガスが引いた。



転がるように馬の背の端に行くと、御釜がさっと顔を出した。

「おおっ!!まさしくエメラルドグリーン」

大感激。



家内も走り寄ってきて、大感激。

すかさず記念写真。

幸せそうな顔をしている。

あっという間にガスの中に隠れてしまった。



しばらく待ったが、また顔を出す気配はない。

諦めて、それでも「よかったね」と話しながら、刈田峠を目指す。

突然ガスの中に大勢の人が見える。

仙台方面等から、蔵王エコーラインで登ってきた人達だ。



蔵王山頂レストラン着。

13時12分。

蔵王温泉行きのバスが待っている。

出発は13時50分。

食事をする場所を探すが、風か強くて外では無理。

レストランのロビーで昼食。

ホテルで作ってもらったおにぎり弁当は、500円の割に梅干しが2個ずつ入っていて美味しい。



外を見ると、駐車場はギッシリと満車。

駐車待ちの車がずっと並んでいる。



昼食を終えてトイレをすまし、バスの切符(1380円)を買おうとしたら

もう一度御釜を見たいと家内が言う。

バスに乗れなくなってしまうが、引き返す事にする。

13時38分。

しばらくガスの中を歩いていく。

相変わらず西風が強くガスが強烈な勢いで流れていく。

突然大歓声が沸き上がったので見ると、ガスの切れ間から日が差して、御釜が輝いている。

ガレキの中を必死で走り寄るが、陽の光は一瞬で消えた。

しかしながら、ガスの中にまたしても素晴らしい景色が広がっている。

今度は、パノラマ用の写真を写す事が出来た。

先ほどの陽光に輝いた姿には劣るが、素晴らしいの一言だ。



よく見ると火口壁はかなり崩壊している。

昭和初期には60m以上の水深だったらしいが、今では崩壊が進み、水深20m位になっているらしい。

左手前がかなり崩壊している。

右の下方は、山肌が削られていて多分大雨で御釜の水があふれた時に浸食されるのだろう。

つい最近まで、火口の辺りまで降りる事が出来たらしいが、今では禁止となっている。

なにしろ蔵王はまだ元気な活火山で、最近では1895年にも噴火しているらしい。

今後も何時噴火するか解らないとの事だ。



十分に御釜の景色を楽しんで帰途に就く。

熊野岳まで、荒々しい直登路を登ると、避難小屋がある。

シェルターみたいな石積の小屋になっている。

いかに風雪の強い時があるかが解る。



熊野岳を降りると時折ガスが晴れる。



ワサ小屋跡から左へと蔵王温泉に向かう。

この道は、古くから蔵王温泉から、御釜へ向かう最短路として利用されてきたとの事。

しかしながら、地蔵山の西斜面で、大規模な崩壊があり、登山道が切れている。

下へ回れば迂回する事も可能のようだ。

しかし、その先を見ても土砂崩れが何カ所も見える。

しばし悩むが、来た道を帰る事にする。



地蔵山の迂回路を降りると、右に雁戸山が姿を現した。

この山は北蔵王になる。



蔵王山頂駅まで降りて、ロープウェイに乗ろうとしたが、家内は開運の鐘を撞いただけでザンゲ坂に向かった。



ザンゲ坂を駆け下りて、車道をもみじ峠に向かう。

ここからゲレンデの中を下り、またドッコ沼に着く。



沼の風景をしばし楽しんで、高原駅に向かう。



高原駅着16時20分。

このままゲレンデを降りようと思うが、家内のスタミナが此処で切れたもよう。

早く帰って温泉に入りたいというので、またロープウェイで降りる。

カモシカ君が居ないか探しながら降りるがもう姿は見えない。



16時40分ホテルに着き、温泉にゆったりとはいる。

贅沢な時間を楽しんで9時に就寝。

続く  この続きは単なるフラワーパーク散策の記録でおまけです。
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